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当店歴史
明治22(1889)年〜


   千葉町は、明治6年千葉県庁が置かれるまでは、人口3,950人、戸数760戸の一寒村でした。
千葉県庁が置かれると、そこへ来る人々のために、食堂、旅館、お店などが次々と出来、
明治24年には戸数3,277戸人口も3万人近くなりました。
当店は、明治22年、初代豊治郎が県庁から200m程離れた田圃だった現在地を埋め立て
て運送業を開業したのが始まりです。

運送業は順調にいっていましたが、大きな取引で失敗(見積金額間違)し、多大なな借
財を背負い、当時徴兵で軍隊にいた二代目豊治郎の元にまで督促状が送られてきた
との記録もあります


   左は昭和2年に松井天山が描いた千葉市街鳥
瞰図から当店付近を抜粋拡大したものです。
当店の場所は、鳥瞰図では今と同じ角にありま
すが、今の場所で言うと店舗前交差点の真ん中
あたりになります。
戦後の戦災復興で道路の拡幅、歩道の新設など
のため、敷地が普通で8割程度、角店では6割程
に減ってしまいました。



   二代目豊治郎は、運送業に見切りをつけ、穀物業に転業。

穀物の販売ではなく、農家に肥料を貸付その対価を小麦で受け取り、自店倉庫に保管し、時期を見て海運や列車で大手製粉会社に卸していたそうです。 

左写真は昭和10年5月1日全国米穀商全国大会 千葉県米穀商協同業組合
千葉市郡支部長として出席(前列右当店二代目古川豊次郎)
大阪中之島公会堂前にて 


    昭和和10年3月15日の当店上棟式の写真です。上段中央は千葉神社宮司、撒き餅三表と裏書き

があります。

この建物は昭和20年の千葉空襲で全焼してしまいました。場所は戦後の区画整理で多少動きま
したので現店舗のある前の交差点(中央3-15)の真ん中あたりにありました。


角送りは建前の宴席終了後、職人を通りに出る門まで送る儀式。
大工玄米弐表 鳶玄米弐表 石工玄米弐表届けると裏書きがあります。

  
 上棟式  職人の角送り


   
昭和20年7月7日の空襲で千葉市街も焼け野原になってしまいました。
新宿町にあった小麦や米の貯蔵倉庫は耐火構造なので焼けませんでしたが、中の小麦や米は
蒸し焼き状態で数日燻っていたそうです。

左が仮設住宅、基礎なし掘立式等細かい規制があり県の許可が必要。

右は戦後復興の区画整理等が完了後の昭和26年に完成した店舗兼住宅、戦前のような穀物業
の継続は難しくなったので三代目の代で金物業に転業。 昭和40年代に入りホームセンターなど
と競合してきたので刃物に特化。
 


 2003年5月新店舗(現店舗)完成。1Fに刃物工房、2Fに多目的ルームなどを設けた全国でも例が無い刃物専門店に生まれ変わりました。
       
 2003年竣工建物  建物1Fにある刃物工房(刃物作り体験中)  2F多目的ルーム(刃物フェスタ開催中)  2Fオープンデッキ(刃物研ぎ方教室開催中)